わら焼き
初がつおたたき
伝統のわら焼き
■昔男等は小船(現在のように動力船ではないので、天候が悪いと出漁できない)で、かつおの群れを追って
沢山のかつおを釣り浜に帰ってくる、浜には老人、女、子供が出迎え大漁を喜ぶ男等は出迎えの老人、女、
子供の居る波打ち際にかつおを投げる、皆は両の手に余るかつおをぶら下げ家路に着く昔の大漁に沸くそこ、
ここらで見られた光景でありました。鮮度の良いかつおを、その日は生の刺身で食べる。
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■翌日も、(この頃は冷蔵庫も冷凍庫もない時代)刺身で食べたいが少し鮮度が落ちてそのままでは刺身で食べられない、そこで考えられた方法が稲わらや茅でかつおの表面を焼き稲わら独特の薫りをたきしめることで生臭さを消し塩や酢、醤油、酒などを用いまな板の上でたたき味をつけて食べだしたのが、わら焼きかつおたたきの始まりと言われています。その翌日はもう刺身では食べられないので塩水で茹がき生り節にして食す、それを雑木などで燻し鰹節として保存食としていた。 |
■又、昔から鰹の事を「勝男武士(かつおぶし)、松魚と書いて、カツオ」
と読み、季節を運ぶうまい魚、縁起の良い事の象徴のように云われ親しまれてきた。
江戸時代から明治三十年頃に架け全国各地の料理を掲載したと云う
「日本料理法大全」に鰹たたきの記述があります。
土佐は鰹がよくとれる。鰹節として有名だが、春暖、ほととぎすの声を聞くと、
旧暦四月八日釈迦の誕生日が、初鰹の来初といって、高知から舟を出し、
浦戸、御畳瀬(みませ)などの浦々へ、鰹くいといって出かける。これは、
鰹のいきのよいのを差味(刺身)にしてたべるのである。
さしみに二通りある。一つは普通のもので、これは、
にんにくをつまとしてたべる。実に旨い。
■もう一つは、たたきと言う法で、これは鰹の一節即ち四つ割のものを、
四つ串の出ている鉄きうにのせて、何時の日か入手しやすい稲わらをもして
かつおを差し出して焼く。その肉の表面が少し焼けたとき、裏返し両面をあぶる。
中の肉は生であるから、これをまな板にのせてさしみにつくる。
厚切りにして、塩をふり、酢をかけてよくたたきつけ、皿に入れ、青い紫蘇
ニンニクをきざんで、つまとする。普通のさしみより実にうまい。
■この頃(江戸時代初期から始まり明治中期)には、鮮度の良い鰹を用い現在のようなわら焼きかつおたたきの作り方や食べ方が確立されている様子が記述されています。
私共は先人たちが作った伝統の食文化を未来へと伝承する仕事に携わることが出来誇りに思います。
■ガスでも炭火でも出せない味わい
たたきは、焼きすぎると焼き魚になり、焼きが足らないと生臭い。
中まで火が通らないよう、新わらの炎で一気にあぶり上げる。身の表面がくすみ、皮に縮れができたら、これが土佐流。活きのよい魚であればあるほど、そしてこのガスでも炭火でもない、わら独特の薫りをたきしめることで、火入れした身の味が独特の旨みとなって生きます。
このこだわり、わら焼きが、土佐の伝統的な調理法です。
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■好きに切って、好きに盛る。自由な土佐の、おらんく流。
土佐では鰹のたたきと言えども、高知県の西と東で、隣とうちで、作り方が違います。
鰹を火でいぶすタレ(又は塩か酢)をかけてたたく、たっぷりとニンニクを使う、
この三点は県下どこでも共通ですが、その基本さえ守れば薬味やタレ、切り方、
盛り付け方は千差万別、それぞれのお家流があります。
そしてどの家でも「おらんくのたたきが一番」と、肩をいからせ譲りません。
極めて豪快、極めて単純、自由な土佐の鰹たたき。
今夜はぜひ、我が家流の味をお楽しみ下さい。
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